供犠
- 分類
- 供犠と代償
- モチーフ
- 禁忌ケガレ
定義:何かを差し出すことによって効力を得る思想、およびその手続き。差し出す相手は神であり、正しい手順を踏むことが条件とされる。
もとの意味
供犠の発想は世界中に散らばっている。命を断つ、身を切る、犠牲にすることで効力を得る。人間は何かを失う代わりに、何かを得ることができると信じてきた。宗教的かつ呪術的な、超自然と人との相互性である。その過程に命が挟まれば、神聖の格は上がるとされる。
日本の民俗にも、その片鱗は残る。
捨てるのではなく、返上する。 柳田國男は『山の人生』で、鬼子を殺す方法に着目した。東上総の本納あたりでは、鬼子が生まれると歳神に供えた棒で叩き殺すという慣習が伝えられていた(柳田が内田邦彦『南総之俚俗』から引く)。柳田はここに、本来は立派な子でありながら常人の家には手に余る異能であればこそ、その統御を神に委ねる意味を読もうとした。殺すという行為が、神への返上・奉納の儀式の形をとっている。
差し出されるのは、価値がないからではない。 柳田は、鬼子を殺す理屈——放っておけばいずれ都を荒らす鬼になる——が崩れる例を引く。その恐れの先に置かれていたのが酒呑童子と茨木童子であった。ところが二人の家庭生活には「思いのほかなるもの」があったという。酒呑童子は越後の生まれで、幼名を外道丸という美しい童であり、寺で学ぶまでは不良でも何でもなかった。茨木童子は異相ゆえに一族に恐れられて捨てられ、酒呑童子に拾われて育ったにもかかわらず、後年、親が病に臥せったと術で知り見舞いに戻ってきたと伝わる。鬼として最も恐れられた者ですら、純然たる悪ではない。
そこで柳田はこう見立てる。部族が対立して争っていた古い時代には、鬼の子はすなわち神の子であった。異形は集団を率いる勇士となりうる吉兆として尊ばれていた。それが忌避に転じたのは、争いの世が終わり荒ぶる力を必要としなくなった時代の側の変化だった、と。馬場あき子は別の角度から、大江山の鬼たちが揃って童子の名を名乗り長髪であったことに注目する。童子とは雑役に従事する者の呼称であり、長髪は神事に携わる者の徴でもあった。鬼と呼ばれた者たちは、身体が異形だったのではなく、秩序の外に置かれた者だったのではないか。
つまり鬼子の殺害は「負の価値を排除」する行動ではなかった。かつて神の子、富の象徴として尊ばれていたものが、時代の変わり目で供物へと反転した。差し出されたのは、価値がないからではなく、価値を認められていた故にだったのではないだろうか。
差し出されたものは、消えない。 供物は失われて終わりではなく、形を変えて留まり続けると語られる。棄てられた者が縁を辿って戻ってくる伝承(サムトの婆)は、その裏返しにあたる。
怪談での使われ方
現代の怪談では、供犠は「対価」として現れる。ただ念じれば効く呪いではなく、何かを支払わなければ呪力が発生しない構造である。呪物・呪具譚の第二要素にあたる。
そして支払われる代償は、多くの場合、共同体が抱えきれずに手放した人である。呪物は、人によって切り捨てられた人から作られる。
なお、この語を扱う際、実在地域・共同体との比定は行わない。間引き・鬼子は習俗一般として扱う。
用例
類話
出典
馬場あき子. 『鬼の研究』. 筑摩書房, 1988, (ちくま文庫, は9-1). ISBN 9784480022752.
柳田國男. 『遠野物語・山の人生』. 岩波書店, 1976, 244p., (岩波文庫, 青138-1). ISBN 9784003313817. 『山の人生』一七.
※ 柳田が引く『徒然慰草』『南総之俚俗』は同書からの再引用であり、出典欄には立てない。
この語を使っている話
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怪談
伝承
- 両面宿儺 中央は鬼と書き、在地は菩薩と呼んだ。江戸の代官はその縁起を偽作と断じた。それでも千五百年、宿儺は祀られ続けている。
最終更新:2026-08-21 / 訂正履歴